タイ子さんの17回忌
九州を横断する国際観光道路「やまなみハイウエイ」が由布院盆地を貫通した、その翌年の春の「桜」を忘れない。40年ほど前である。「国際観光」だから外国人が来るぞ。「ウエル・カム」「ヴェリ・マッチ」・・・。「学校で習うた英語を担いで、由布院に帰れ」、若者が次々に呼び戻され、私もホヤホヤのカミサンを連れて由布院に帰った。家の周りに柳が散っていた。「どうする、これから?」。紅葉の山に横断道路が開通し、延々と車の列がゆくけれど、鶏が遊んでいる盆地に入ってくる車はほとんどいない。「外国人どころか、日本人も来やへんど」。とうとう由布院盆地は、時代の節目から落ちこぼれたのか?だんだん大きくなるカミさんのお腹を気にしながら呟く。(どうにかしなくちゃあ)。夫を失って3年目の冬を迎える母のタイ子さんは、「ま、急ぎなさんな」と落ち着いている。好物の珈琲だけが私とタイ子さんを繋ぐ小道具だ。ゴシゴシと大風呂の掃除をしながら、正月の山場を越えて、季節は、樹氷の花光る「大寒」になった。すると突然、母のタイ子さんが立ち上がったのだ。凍てつく水を手水に使って6~7人の働き手を指揮し、「寒の餅」を追い上げる。搗いて、切って、干して、混ぜて、桃の花の咲く頃まで作業は続いた。すると一気に春が来た。土筆、甘草、芹、菜の花、蕨、ぜんまい、独活、野蒜が土の中から吹き上げてきた。「なあも、はや心配は要らんがや」。故郷の「加賀なまり」で母が言った。「大桜が咲いたら花見をしまっしょ、通りがかったお人は、何方でもお寄りませ」。花見の日が来た。連翹の咲き残る内庭に莚を敷き、茣蓙を広げて、大きな幹を背にタイ子さんが笑っている。祖父が植えたという大桜が、雪の天蓋のように空を覆い、ざわざわと人が屯する。漆のはげた清朝の食篭が持ち出され、酒は大徳利、焼酎には保温瓶、木皿と湯呑みと箸が回された。みんな笑っている。花が散っている。私の記憶から「東京のアパート」が消え、「なあも、はや心配は要らんがや」という母の台詞が刷り込まれた。その後、我が家のお客様は少しずつ増え続け、「お寄りませ花見」は40回を越えている。そして、タイ子さんの17回忌がやってくる。