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2006年7月24日 (月)

「ブンブン豚の子、空を飛ぶ」

68460025_2 さて6月頭に駆けつけた「渡来人まつり・in浅間」とはナニモノだったのか?いまは「夏休み」、昔のことは忘れましたが、忘れられないのは頭上から落ちかかってきた「音の洪水」と「涙の沸騰」、在日韓国・朝鮮人グループの命の叫びです。神宮寺の高橋卓志さんに招かれて、記録映画祭の埃も払わずに駆けつけましたる「渡来人まつり・in浅間」、そこで出会った在日諸氏の「文字の優雅さ」と「焼き物の雄渾さ」「振る舞いのやさしさ」に脱帽しました。出演の方々は新井英一・趙博・杜保・李政美・趙寿玉(舞踊)・庚明洙(サムルノリ)。

そして数日後の6月半ば、北海道は「洞爺湖ウインザー・ホテル」に料理顧問の斉藤寿さんを訪ね、3星レストラン「ミッシェル・ブラス」の夕飯を食べて泊まるという、「仰天贅沢」の夜がありました。翌日は、3月に由布院に飛来して、大分県主催の「風の食卓・料理シンポ」を敢行して下さった「モリエール・シェフ」の中道博さんご夫妻、それをかっちりと支えてくださった「(元)ジャン・ムーラン・オーナーシェフ」の美木剛さんご夫妻、そして「文化記録映画祭」のゲスト「ナージャの村」の監督、本橋成一さんご夫妻と言う「強力プロメンバー」と合流しましたので、まあ次々に登場する「地場料理」の美味いこと、美味いこと・・・。由布院から参加しました「旅館・玉の湯」の従妹、溝口喜代子と「ジャム・コトコトや」の義妹、渕野夫妻、それに我ら夫妻、揃って喜ぶまいことか・・・。いや、少々疲れました。

その疲れた胃袋を待っていたのが2年に一度の、わが「亀の井別荘・社員旅行」、行く先は「台湾・台北グルマン・グルメの旅」、総勢48人を二手に分けて、私は一方のリーダー、北海道から帰った翌日、社員諸氏に担がれて(いや、そんな気分で)バスに乗り込み、福岡空港へと向かったのです。(ブンブン豚の子、空を飛ぶ)。

2006年7月20日 (木)

映画祭を走り抜けて

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さて526日の朝、「クレージー・キャッツ」とばかりにできあがった「たすきがけの湯布院」の本がごっそり、印刷所から送られてきた。そのまま第九回由布院文化記録映画祭の「資料販売コーナー」へ運ぶ。だけどこっちはそれ所じゃなかったのです。突然「追悼上映会」になってしまった「あるマラソン・ランナーの記録」の黒木和雄監督に代わって、土本典昭監督に舞台挨拶をお願いする。松川八洲雄監督が体調不順でお出でになれないので、ゲストの筑紫哲也さんを担ぎ出す。(土本監督・池内了センセ・清水浩之コーディネーターとの「吉野作造―デモクラシーへの問い」論議が素晴らしかった)。樋口源一郎監督の「真性粘菌の生活史」を、もう一本の「追悼上映」に仕上げて、石井董久カメラマンにお話を請う。やがて隣県の熊本から「もっこす元気な愛」(寺田靖範監督)の主役たちが車椅子でやってくる、などなど・・・。

ここで私、宣言しました。「来年第十回で、映画祭を引っ張る役割を降ります」、えー、ガヤガヤ・・・、すると筑紫さんが嬉しい「助け舟」を下さった。「それがいいね、日田でやった<自由の森大学>も、私10回で辞めました、いつまでもやっていると、後が育たないよ」、バンザイッ。(ヨシッ、来年は早めに「作品選定作業」を終えて、「仲間・応援・人脈づくり」にかかるぞ)。時間をかけて町内・外の「交信」「交流」を分厚くする、そんな「助走」をやらなければ「作品選定」も「実行気力」も実らないよ。そうしておいて私、退場だ。

それで早速「作品選定」にかかったか?いや、いや、映画祭が終わった5月の末日、抑え込んできた高校の「同窓会」を決行し、6月初日に、キビシイ「会社朝礼」をこなしてから、飛行機で信州・松本に飛んだ。「渡来人まつり」in浅間温泉だ。うーむ、やっぱり「たすきがけ」の疾走なのです。

2006年7月16日 (日)

<たすきがけ>のスピードで

Cimg4177_2 夏が来て、2006年の半分が過ぎ、残り半分が始まりました。速い、むちゃくちゃ速い。3月にNHKの連ドラ「風のハルカ」が終わる、あとはショボショボ、と言うわけにはいかないぞ、と、4月から「風の食卓」運動を始めた、これが立派に「的」を射抜いて、だけどなかなか大手間で、まあその話はおいおい申し述べますが、今はとにかく忙しい話・・・。
「本を書け」と言うのです、それも2週間で・・・、もちろん「書き下ろし」じゃあなくて「新版」、つまり「旧版」に筆を入れる話ですが、それにしても無茶です。「文化記録映画祭が5月26日からですぜ」あと一ケ月しかない。「ドコロじゃないよ」「いや、ちょうどいい」、<
ふきのとう書房>のメグロ・シャチョウは悠然と仰る。「映画祭の初日の売台に並べましょうや」「おいッ、シャチョウ・ご乱心ッ」、それから焼酎大会になって、いつもの通り私は「大負け」、「明日、旧版を読んでみます」と平伏してしまった、そして驚いた。20年近く前の旧版「たすきがけの湯布院」が、勢い良くメラメラと甦ったのです。目からウロコ、世の中明るい。「こうやればいいんだ、これからの<地域づくり>は・・・」。
昨年10月1日、市町村合併事件で「わが湯布院町」は「由布市」の中に塗り込められ、私が怒りながら、シコシコと書き溜めた文章が本になりました。「由布院に吹く風」(岩波書店)。出たのが私の誕生日2月28日で、いやはや、暮れから正月にかけての忙しさといったら・・・。
一冊の中で完成したのが1枚の名刺の「住所」です。「九州・由布院盆地」。「由布市」とも「湯布院町」とも名乗らない「名刺の意味」はそれなりに明快だけれど、気分の「重さ」がお腹に応える、その「重さ」が古い「
たすきがけの湯布院」を読んだ途端に軽々と消えたのです。「ヨシッ、<新版>を出そうッ」。メグロ・シャチョウと大乾杯をして5月、「たすきがけ」のスピードが始まりました。