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2006年1月20日 (金)

「ソッパとロキシ」

小さな鉈で水牛の肉を叩いて、ミンチにする。野辺の、韮だか、蓬だかの強烈な草を毟り取って、刻んで混ぜ込む。岩塩を振って、粉を振って、(たぶんソバ粉を)掌で練る、立派な臭いが鼻を襲う緑のハンバーグ・ミートが出来上がります。それを台所の竃の、青い炎の上にかざして焼く、その炎が素晴らしく臭い。青い炎は羊の「うんこ」(水牛もあるか)を乾かしたものだから仕方がありません。緑のミートが黒く焼けたら掴んで、あんぐりと食う、はふはふ、「旨・臭い」、そして少し哀しい、だから「ロキシ」をグビリと飲む、効いた、「旨・臭い」が「旨い」になった、「ロキシ」の効き目です。

「ロキシ」、焼酎の親戚、砂糖から造ったものとか・・・。所はネパール、銅細工の町・パダンのオカネ持ち「ダルマさん」んちに転がり込んで、一ヶ月以上滞在しても言葉はまるでシャベれません。ミートのツナギがソバ粉だったのか、ロキシの原料が砂糖だったのか、確かめ切れていないのです。だけど匂い立つミートに潜んでいたものは確かな「ソバ」の香りでありました。それは私の「ある日の記憶」に繋がっているからです。「ある日」村の食堂で、ダライ・ラマ一行から「落ちこぼれた」と言うチベット人のコックと知り合いました、そして山羊の乳で煮たソバ雑炊をご馳走になった、その香りと、パダンのミートの匂いがまるで同じだったのです。チベット高原に波打つ「ソッパの実」の香りです、そう、チベットではソバのことを「ソッパ」というのです。

その夜、チベット民謡にそっくり溶け込む「信濃追分」を合唱しながら、二人でロキシに酔い痴れたことでした。「小諸出てみろ、浅間の山にヨウ、今朝も煙が、三筋立つ」

2006年1月18日 (水)

トルコの黒いクレープ

トルコで「ソバ粉まみれのクレープ」を食べた、と思います。田舎でした。村の名前はウーム、忘れた。家の壁際に分厚いマットが置かれ、そこが、まあタタミです。土間のかまどに火が燃えていて、ショールを被ったオバサンが、熱々の鉄板にソバ粉を振り撒き、その上に溶いた粉をタラーリと流す、杓子の背で薄く広げて、ひらりと返すと、ソバ色のクレープが出来上がります。焦げたソバ粉が香ばしい熱々のクレープを切り分けて、胡瓜、羊肉、青唐などを巻いてガブリと食う。鉄板のお焦げを油布で拭き取って、またソバ粉を振り、溶き粉を流し、ひらりと返して・・・。待った、そこで教えてほしいのです、その溶き粉にソバ粉が混じっていたのか、どうか?そもそも鉄板の上に振り撒かれた粉がソバ粉であったのか、どうか?怪しげな英語で尋ねたら「黙んまりの笑顔」が返って来ました。だけどハンガリーでも、スロバキヤでも、いろいろの「ソバ料理」を食べたし、ネパールではソバの実のスープが美味しかった。だからトルコの、あの黒っぽいクレープはソバ粉であったに違いない、と思うのです。

後でガイドさんから聴いた話、油で焼くと美味しいけれど、旅の途中で味が変わる、粉で焼くと何日たっても味が変わらない。母は熱々のクレープを冷まして紙に包み、「砂の入った小袋」と一緒に子供に渡す。子供はクレープを齧りながら、遥かな都会をめざす。「砂の小袋は何ですか?」「村の川砂です。その砂を<川>に返すために、子供は必ず帰ってくる。」帰ってくる村に、ソバの花は咲いているか?

2006年1月13日 (金)

「花のミンミン」

Cimg3428a_1 ミンミンという我が家のネコ、自分をネコと思っているかどうか怪しいのですが、とにかく一筋縄ではいかないお嬢です。年は「花つぼみ」、人間でいえば17、8、9ですが、その花のお嬢が、一気に壁を駆け上がって、天井を横に走るのであります。憎いのは「コラッ」とたしなめるワタシを振り返って「アラ、ドウシタノ?」と鳴くのであります、あきらかに魂胆を込めて・・・、どんな魂胆か?甘え、求愛、命令、恫喝・・・、「このカーテンとワタシと、あるいは障子と、オマエさん、一体どっちが大事なのよ、ミャーオ」。そのときワタシが大声でも出そうものなら、たちまちバリバリと駆け上って、カーテンも、障子もズタズタにするのであります、そして色っぽく鳴くのであります、「ドウカシタノ、ネエー?」。この頃ワタシは「見えていない、聞こえていない」振りをして、ひたすら新聞を読むのですが、テキは疑わしそうにこっちを睨んでいる、それが判るからワタシは目を剥いて新聞に集中する。そんなやりとりがあって、やがてゆっくりと膝の上に上ってくると、ワタシはどっと疲れが出て、ミンミンの上にもたれ込むのであります。ミンミンに避妊手術を施すと、中年ふうに落ち着くというのですが・・・、ウーム、嫌です。

2006年1月10日 (火)

「ヘロヘロヘロ」

「どこかに鴨がおらんか」とナオちゃんが言うのです。「アメリカ人は鴨が好きじゃ」、「ほんとに好きなん?」「ああ、俺を見るとカモ、カモち言う」。カム・オン、カム・オンといわれても「ギブ・ミーチョコレート」と言うなと息巻いていた航空隊予科練習生帰りのナオちゃんは、今年たしか七十六歳のはずです。昭和二十年代、敗戦の頃、凍てつく冬の由布院盆地にシベリヤの鴨が次々にやってきて、ひそかに鳴いておりました。田畑がなかったナオちゃんは、アメリカ人のためじゃなくて、自分のために合鴨を飼い始めた。これがなかなか汗だくで、日がな一日、合鴨を追うのです。餌をケチるには放ち飼いしかないし、放てば鴨は走って、田圃の稲を食う。農家が鎌をもって追っかけてくる。「鴨を食わせるから、お前も手伝え」。ふたりで「ヘロ・ヘロ・ヘロ」と怒鳴りながら、鴨を追いました。どうも鴨の話には信用ならんところがあるのですが、今また合鴨に現を抜かしているのはなぜか、今度の市町村合併でワタシたちは「寄る辺ない気分」になりました。自分で体感できる「ココ」の感覚がほしい、ならば「由布院盆地」です。地形も、地勢も、産物も「身体で感じることができる」、そうです、盆地だから合鴨なのです。「ヘロ・ヘロ・ヘロ」。

2006年1月 9日 (月)

「ユヤ・ユヨーン」

Cimg3460 今年の「正月太鼓」はコトノホカでしたよ、天気も良かったし・・・青い空、白い雲に冷たい風。コトノホカの中身は息子です、「源流・長谷川」の息子、去年、結婚した、あれがよかった、色っぽいというか、艶があるのです。オヤジもそうだったけれど、年相応に、この頃は少しジックリしてきた、正しいね。演奏は言うことなし、夜中じゅう山で鍛えているだけの事はある。お客様も良かったですよ、去年まで旅館と食堂の中で開いていた「お樽割」を、今年はパブリックのコンコースに持ち出したのです、それが効いた。観客様はみなさん「ユヤ・ユヨーン」でした。

恒例の、「ゴロゴロベヤで日本映画を観る会」は、お約束した宮城のナガイ様がお疲れだったので中止、モノは昔カチンコを打った「大番・怒涛篇」(カミサンもちょっと出ている)の予定だったけれど、ま、そのうちに・・・、可愛がってくだすった故・千葉泰樹監督の傑作です。加東大介・原節子主演・・・。2日の夜は湯布院映画祭のユウさんとマッツあんが来てくれたので、音楽祭のミコ一家を呼んで「年始の祝杯」を挙げました。今年も嬉しい年明けでした。

2006年1月 7日 (土)

「新春雀躍」

Cimg3483 「シン・シュン」は雀の囀り、だから「雀躍」です。今年は元気でいたいぞ、雀のように・・・。一度、公言した「引退」を取り下げるのだから格好悪いけれど、元気が出ます。去年は市町村合併「怒りの元気」だったので、今年も「ツイチョル」。

珍しく早めに賀状を用意したら、事務所を「柚子練り作業」に開放した時に、私の指示ミスで破棄してしまった。それで今頃、賀状に追われています。「いたずらに先を慮るな」の神意でありましょう。今年は「合鴨」をご披露するつもりだったのに、「試食」の美味しさに惹かれて、とうとう 70羽の合鴨を食べてしまった。無農薬の田圃で育てるので、促成飼育というわけにはゆかないのです。鈴虫の9月までには仕上がるでしょう。 代わりに今は「猪」です。近所に「脚罠」の名人がいて、美味い「猪肉」が手に入る。皮の口当たりを優しくするために、肉を「薄く切る」技が勝負どころで、ウーム頭が痛い。